詩人、高田昭子さんのサイト「
Suigara-yama383 Haizara-chou」(灰皿町吸殻山383番地)のなかの「
声 「非戦」を読む」にある非戦の詩を逐次紹介します。
今回はあまりにも有名な「
君死にたまふことなかれ 与謝野晶子」です。
以下抜粋
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親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしえしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までををそだてしや。
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旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。
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獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
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*与謝野晶子の100年前の詩が、再び今日的な意味をもちはじめ、その力強い七五調が胸に迫って感じられるという昨今の状況の恐ろしさを再認識させられる。彼女のその後の思想的変遷がどうであろうとこの詩はそれ自体として輝かしい生命力を持ち、親の子への思いと「私」を基盤におく非戦の声を上げ続けている。日本国憲法のもとの、日本の親のおそらく全部が「人を殺して死ね」と
子供を育てはしないだろう。また子供自身が「死ぬるを人のほまれ」だと教えている親もいないだろう。当然、時代を超えた普遍的な親の気持でもある。
また「旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何事ぞ」の主張にあらわれているように「公」の上に「私」を置く論理である。まさに、日本国憲法の論理。これを逆転せずに、戦争はやれない。自民党改憲案の公益至上主義がそれを示している。「死ぬるを人のほまれ」と教育する装置はまさに靖国。それらを総合的・日常的に行うのが教育基本法の改悪。
彼女は「乱臣なり、賊子なり」と最大級の悪罵を投げつけられた。自由民権運動圧殺後、大日本帝国憲法が天皇によって国民に押し付けられ(日本国憲法が議会で審議されたという点だけでも国民からみれば帝国憲法よりまし)てから15年後のことであった。
(ヒフン)