「憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす、非政府組織としての自由な研究所機関」である法学館憲法研究所のHPにある「中高生のための憲法教室」の
第9回 <「公共の福祉」ってなんだろう?>(この研究所の伊藤所長(伊藤塾塾長)が「世界」(岩波書店)に連載中のもの)を紹介します。
今回は公共の福祉とは何かを「個人の尊重」にのみ基礎をおくものであると明快に説いています。自民党改憲案が「公共の福祉」を「公益」に置き換えていることの意味が納得できます。
関連する条文は
○第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
○第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
○第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
以下は抜粋
『このように「個人の尊重」を根本価値とする人権ですが、実は絶対に制限されないわけではありません。このことを憲法は「公共の福祉」という言葉を使ってあらわしました。」12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とあります。』
『皆さんは「公共の福祉によって人権が制限される」と聞くと、どのようなことを思いうかべますか。「社会の秩序や平穏という公共的な価値のために、個人はわがままをいってはいけない」というイメージを持ちませんか。または、「多数の人の利益になるときには、少数の人はガマンすべきだ」という意味だと感じませんか。実はこれらの理解は、正しいものとはいえないのです。』
「個人が最高の価値であるのならば、その個人の人権を制限できるものは別の個人の人権でなければなりません。つまり個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障にあるのです。』
『 すべての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することを、憲法は「公共の福祉」と呼んだのです。けっして「個人と無関係な社会公共の利益」というようなものではありません。また「多数のために個人が犠牲になること」を意味するのでもありません。』
『「公共の福祉」による人権制限の問題を考えるときには、対立する利益をつねに具体的に考えなければなりません。「誰のどのような利益を守るために人権を制限するのか」をしっかりと意識しないと、「国益」というような抽象的なものでの制限を許してしまいかねないからです。仮に「国益のため」という理由が語られたときには、その「国益」の中身が具体的にどのようなものなのかを考えてみることが必要です。』
『そもそも「公共の福祉」のことを
英語ではpublic welfare といいますが、このpublicとは、「人民」がもともとの意味です。つまり「人びと」ということです。ところが、日本語の「公」はもともと、「天皇」や「国家」をさしました。』
*「個人が最高の価値」というのが日本国憲法の中核的原理であるとすると、戦争を肯定し、「公益」=国益を個人の上に置く自民党改憲案はたしかに現憲法の改正ではなく、国家主義原理による新憲法の制定といわなければならないと教えられた。『日本語の「公」はもともと、「天皇」や「国家」をさし』たことを心にとめておこう。